Interview 新しいキャリアは何歳から始めても遅くない。 ヤンキーからとび職を経て世界の名門大学に入学した鈴木琢也氏の“不可能を可能に変えるチカラ”。

中・高時代、偏差値30台のヤンキーが世界の名門大学である公立カリフォルニア大学バークレー校へ。そんな華々しい経歴を「バカヤンキーでも死ぬ気でやれば世界の名門大学で戦える」という本にして、反響を呼んだ鈴木琢也氏。
人生を変えるきっかけやモチベーションを継続できた理由について、19歳と24歳の2回にわたりキャリアの大転換を図った鈴木氏に話をうかがいました。

―学歴にこだわるのではなく“学ぶチカラの強さ”から英検4級以下の英語力で渡米

中学時代のヤンキーを経て、高卒でとび職になった19歳の頃。父が勤務先の外資系生命保険会社で成績優秀者として表彰されることになり、それをきっかけに、初めて父親の仕事について知りたくなりました。同時に、それまではお金を稼ぐ手段でしかなかった仕事でしたが、「自分は情熱を持って仕事に取り組み、社会に貢献できているのか」などと考えるようになりました。そして自分は何をやりたいのかをふと考えたら、やりたいことが何もないという驚愕の事実に気づいたんです。「先輩がこうしているから」「どうせ自分はこんなもの」という先入観だけでこれまで生きてきました。

「学歴よりも勉強が必要だ」と父に言われ一念発起して、とび職を辞めて情報処理の専門学校へ入学しました。2年間の猛勉強の末、国家試験にも合格し、IT系上場企業へ再就職を果たしましたがほどなくリーマン・ショックがあり、仕事も影響を受けました。

そんな状況でも大きな案件をまとめあげ、成果を上げている社員がいることに気づき、僕が持っていなくて彼らが持っているのは“学ぶチカラの強さ”だと感じました。「あの人たちが持っている勉強していく力が欲しい」という思いから大学への進学を考えていた時、父親が「不安定な時代に金融商品に投資するなら、長期的なヒューマンリソースに投資するのが最良の選択肢だ」と言ってくれました。それはつまり僕が勉強することを支援するという、父親からの申し出でした。「目指すならてっぺん」と思いましたが、東大に入るなら少なくともその対策に数年はかかります。ですがそれでは卒業時には30代になってしまう。そこで「遅くとも5年後の29歳には大学卒業」と、タイムリミットを設定しました。

海外留学を調べるうちに、学力だけでなく人柄や過去の経歴などその人の総合的な力を評価する入試制度があることや、カリフォルニア州では2年制の短期大学で必要な成績を取得すれば、4年制大学に3年次から編入できる制度が充実していることを知りました。「5年以内に名門校の卒業を目指すならこの方法しかない!目指すはカリフォルニア大学バークレー校だ!」と、決めたのです。語学力も英検4級以下でしたが、ボロボロの英語力でも何とかなるだろうと渡米しました。

―徹底的に勉強する環境、人生の寄り道をプラスに捉えるアメリカ

まず僕の場合は、英語の基礎学力が中高6年間分抜けていました。土台になる基礎力は単語と文法。その上でlistening(聴く力)、reading(読む力)、writing(書く力)、speaking(話す力)がそれぞれ力となります。最初に身についたのはlisteningでした。ですがlisteningとspeakingのどちらもできないと授業についていけないですし、ディスカッションにも参加できません。これを克服するためにとにかく量をこなしました。

初めて取り組むことは大抵一度ではうまくいかないので、何回も振り返って勉強し直します。一つひとつ立ち止まって改善していくことを繰り返しているうちに、それが習慣になったのでしょうね。ヤンキーだった頃はまったくそんな考えはなく、いかに他校へ不良感を伝えられるか、街で喧嘩を売られたら逃げずに闘う、というような意味がわからないことがミッションでした(笑)。ですがそのエネルギーが勉強に向くと、“努力することを厭わないチカラ”につながりました。

―ダイバーシティが国際競争力を養う

ダイバーシティとは多様性という意味であり、人種、民族、性別、年齢、障害、社会経済的階級、性的指向、宗教、政治的思想などのさまざまな違いを受け入れ、お互いの個性を認め、活かしあおうとする考え方です。

カリフォルニア大学バークレー校には『Adult Learners in Higher Education』というユニークな講座があります。25歳以上で、いろんな社会経験を経て、大学に入り直している学生向けの授業です。多様なバックグラウンドをもつ学生がそれぞれの立場から率直な意見を出し合うことで、心のなかに潜む差別や偏見、固定観念があぶり出されます。当たり前だと思っていた常識が崩れたり、それまで無意識に信じていた自分の考えに対して、改めて疑問が湧いてくるのです。ダイバーシティ(多様性)を尊重しながらやり取りを進めるうちに、自分ひとりでは想像もできなかったような考え方が生まれる素晴らしい経験でした。

大学には地頭のいい天才が集まっていると思い込んでいた僕でしたが、実はほとんどの人はものすごい努力家。自分に与えられた能力と環境を直視し、徹底的に考え、必要だと信じたことに時間と労力を投入し続けている学生ばかりでした。僕はそれを知り、これまでの自分が固定観念に囚われ、努力も行動もしていなかったことを心底恥ずかしいと思いました。

人は得意分野こそ違っても、本来持っている力は同じはず。「自分のどの部分を伸ばすことで、周りの人とコラボレーションしていけばいいのか」とポジティブに考えられるようになったことが、一番の学びでした。

―失敗したとしても、失敗を許容すればいい

実は自分が無理だと思いこんでいるだけで、無理ではないことってたくさんあると思います。やってみて失敗したとしても、失敗を許容すればいい。それが“不可能を可能に変えるチカラ”につながっていくのだと思います。

僕の場合は、気軽に一歩進んでしまってから、「やばい。どうしよう」となるタイプ。そこから自分なりに試行錯誤して進むしかなかったですし、前に進んでネガティブな事態に陥ったことはほとんどありません。失敗を恐れていないというよりも、成功したいだけなんです。ポジティブに一歩ずつ進んできたことを「成功体験」と呼ぶなら、その積み重ねこそが“必要なチカラ”だったのでしょう。

僕は大人になってから本格的に勉強を始めましたが、日本ではストレートに中学、高校、大学へ進学することを良しとする風潮があります。でもほとんどの人は、社会人になってから本当に自分がやりたいことって何だろうと気づくものです。僕は今後、いくつになってもやりたいことを始められる、変われる環境を作っていきたいと考えています。

個人的な活動として、今夏はカリフォルニア大学バークレー校から学生を日本に招き、高校生を対象としたサマーキャンプを福岡で開催しました。自分が経験していいなと思ったことを、少しずつでも世の中に広めていきたいと思っています。

鈴木琢也(すずき・たくや)

http://takuyasuzuki.com/

profile
1986年神奈川県川崎市生まれ。家族の不和が原因で中学生からヤンキーに。偏差値30台の高校を卒業後、すぐとび職に。生命保険会社に16年間勤める父親が、初めて業績優秀者として表彰されたのを見て一念発起、専門学校に通いその後IT企業に。リーマン・ショックの影響を受けた職場で「やれている同僚」を分析、彼らが卒業しているトップランクの大学に入ることを決意。カリフォルニア大学バークレー校に合格、卒業。現在は、日本最大のビジネススクールグロービスに勤務。初の自叙伝を2015年10月にポプラ社より刊行しメディア各方面で取り上げられ話題に。

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