VOL.45 特集:ダイバーシティを実現させる「イクボス」という経営戦略

Adecco’s Eye

イクボスというと、育児中の社員を優遇する管理職と考える人もいるかもしれない。
しかし、イクボスは価値観や働き方の多様化が進む現代に合ったマネジメントであり、企業が業績を上げ、健全に成長するための戦略でもある。
イクボスとはどんな上司で、どのようなメリットがあるのか。
ファザーリング・ジャパンの安藤哲也代表理事に聞いた。

「“イクボス“は決して福利厚生の話ではありません。少子高齢化など環境が激変する現代で、企業が生き残り、成長を遂げるための経営戦略です」

そう語るのは、働き方や子育てなどの父親支援を行うNPO法人ファザーリング・ジャパン代表理事の安藤哲也氏だ。「イクボス」とは、育児中の社員を支援する上司だけを指す言葉ではなく、部下のワークライフバランスを考え、その人のキャリアと人生を応援しながら組織の業績向上を達成する上司のこと。自らもワークライフバランスを実現していることが前提で、女性管理職も対象だ。

この「イクボスが企業の経営戦略」というのは、どういう意味か。

「少子高齢化によって労働力人口が減少し、専業主婦などこれまで主な労働力とされていなかった人たちも主力となって働かないと、日本も企業も生き残れない時代になりました。国もダイバーシティを推進していますが、時短勤務やフレックスタイム制など制度だけ導入しても、働き方や意識を変えるのは難しい。企業の管理職や経営層が、いつでもどこでも仕事をする“無制限に働ける社員“を前提に考えているからです」

イクボス10カ条 1.理解 現代の子育て事情を理解し、部下がライフ(育児)に時間を割くことに、理解を示していること。2.ダイバーシティ ライフに時間を割いている部下を、差別(冷遇)せず、ダイバーシティな経営をしていること。3.知識 ライフのための社内制度(育休制度など)や法律(労働基準法など)を、知っていること。4.組織浸透 管轄している組織(例えば部長なら部)全体に、ライフを軽視せず積極的に時間を割くことを推奨し広めていること。5.配慮 家族を伴う転勤や単身赴任など、部下のライフに「大きく」影響を及ぼす人事については、最大限の配慮をしていること。6.業務 育休取得者などが出ても、組織内の業務が滞りなく進むために、組織内の情報共有作り、チームワークの醸成、モバイルやクラウド化など、可能な手段を講じていること。7.時間捻出 部下がライフの時間を取りやすいよう、会議の削減、書類の削減、意思決定の迅速化、裁量型体制などを進めていること。8.提言 ボスからみた上司や人事部などに対し、部下のライフを重視した経営をするよう、提言していること。9.有言実行 イクボスのいる組織や企業は、業績も向上するということを実証し、社会に広める努力をしていること。10.隗より始めよ ボス自ら、ワークライフバランスを重視し、人生を楽しんでいること。ファザーリング・ジャパン「イクボスプロジェクト」より

しかし、今では専業主婦家庭よりも共働き家庭のほうが多くなり、夫婦で家事や育児を分担することが普通になった。これまでのような無制限な働き方ではなく、より夫や父親としての役割が求められる時代になったのだ。
「この変化に気付いた企業が、育児やそれぞれの事情を抱えた社員が共に活躍できるように、ダイバーシティを実現させるべく注目しているのがイクボスというマネジメントなのです」

いまや若い男性の多くが“イクメン志向“だが、中高年以上の上司には社員は無制限に働くものという意識が根強い。そのため、制度はあっても利用しづらく、男性の育児休暇取得率はなかなか上がらない(図1参照)。また、夜遅くまで残業している上司を見て、能力があっても管理職にはなりたくないと考える女性社員も多い。

【図1】日本の男性の育児参加の割合が低い理由(複数回答) 仕事に追われて、育児をする時間がとれないから71.5% 「育児は女性の仕事」と考えているから37.2% 父親の育児参加を後押しするような行政支援が少ないから34.4% 育児の仕方がよくわからないから31.4% 「育児は面倒くさい」と考えているから17.5% 出典:時事通信社「父親の育児参加に関する世論調査」(2012 年)より作成

「ダイバーシティを冷ややかに見る上司も、実は他人事ではありません。団塊世代が75歳以上の後期高齢者となる2025年には、50歳以上の社員の親の介護は社会的な問題となります。今後は生活習慣や風習が異なる外国人社員も増え、価値観や働き方の多様化がより進むでしょう。その中で会社として収益を上げ、発展していくには、イクボスは避けて通れない道といえます」

ワークライフバランスを重視し過ぎると、生産性が落ちるのではと懸念する人も多い。しかし、安藤氏は「それは全くの誤解」と首をふる。

「ドイツを例に出しましょう。ドイツでは、夕方になるとみな自宅に帰り、家族と夕食を囲むのが慣例になっています。メールサーバーを夕方6 時に強制的に止める大手企業もあるほどです。しかし、トヨタを抜き販売台数で世界一になったフォルクスワーゲンに代表されるように、ドイツの生産性は非常に高い。長時間労働と生産性は必ずしも比例しないのです」

また、イクボスはダイバーシティ実現だけでなく、多くのメリットがある。「上司がワークライフバランスを重要視し、残業がなくなれば、プライベートを充実させたい社員のモチベーションが上がります。メンタルヘルス不全による退職も減り、残業を避けたくて管理職になりたくないと考えていた女性に管理職志向を持つ人が増える。育児に理解のある管理職が増えれば、マタハラ問題なども解消します」

イクボスには、個人能力を向上させるという側面もある。

「子育てと仕事を両立すると、子どもの体調や気持ち、配偶者の精神状態もケアするので、問題対処能力や問題発生予知能力も磨かれます。地域の人との接点も生まれ、コミュニケーション能力やタイムマネジメント能力も高くなる。また、家庭が安定するので安心して仕事に打ち込める。より効率よく成果を上げる働き方になるのです」

では、実際にイクボスを社内で推進していくために、経営者、人事担当者としてはどうすればよいのだろうか。

「まずは、ワークライフバランスについて、そのメリットや意義を共通認識として持つこと。最初はみな困惑してしまうと思いますが、繰り返し社内セミナーなどを行っていくことが大切です。大企業なら、すでにイクボスとしてマネジメントができている上司が数人はいるはず。そういう人をフォーカスして、わかりやすいモデルケースにすればいい」

イクボス式マネジメントが組織全体に浸透するまで2 ~ 3 年はかかるというが、早く浸透させる方法もある。

「時間単位での生産性と部下の育成をアクションプランとし、その達成度を評価対象にする。さらに、女性の登用人数、男性の育児休暇取得者数などを数値化し、評価に加点するのです」

このような新評価制度の導入を一部大手企業はすでに決めているという。「さまざまな制限がある人でも働きやすくなるよう、組織を再構築し、継続性のある会社にしていく。そういう会社が増えれば働き方が変わり、社会も変わります。すなわち、人を通して社会を育てるのがイクボスなのです」

安藤哲也氏
NPO法人 ファザーリング・ジャパン ファウンダー/代表理事

profile
1962年生まれ。二男一女の父。出版社、書店、IT企業などを経て、2006年、NPO法人ファザーリング・ジャパンを設立。企業・一般向けの父親セミナーなどで全国を飛び回る。著書に『パパの極意』など。

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